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7月9日を迎えて その4

8月に大同窓会が開催されて、その時の色紙、写真を持って先生宅に訪れたのが9月下旬。

女子もいると賑やかなもので「何だか面影が蘇ってきたぞ」。

更には「写真でも撮ろうではないか」と持って来たカメラでパチリ。

その写真をカメラ屋さんでプリントアウト。何とそこのご主人、先生をご存知だった。

「最近来られていないからどうしているかなあっと思ってました」

「先生は今、病気で。週3回透析しています」

「そうですか。それで、ですか」

そこのご主人、最近同窓会が泊まりであり、当時の先生も94歳とご高齢ながら参加された。

その時の写真を見せてもらいながら、

「この先生はね、レッドバージで生徒の身代わりになって辞めさせられて、その後は…」と語るのでした。

写真を持って再び訪問。先生が望むのなら口下手ながらお話し相手になろうと思っていたのですが、「追い出すようで悪いのだけど具合が悪くなるといけないから」と奥さんに促されて1時間ほどで辞去。

「まぁ、いいではないか」と引き止めようとされたのですが、水物の接収を控えさせる様子も伺えたのでそのまま辞去したのです。私とて、具合を悪くされるのは本意ではありません。その際に「こっちに来たらまた来ますね」と楽しみを持ってもらおうと言ったのですが、これがお会いした最後となりました。

翌年の5月にお電話したものの、繋がらず。不審に思って訪問したものの留守。近所の奥さんに聞いてみると特に変わった様子はない。更にその奥さんの旦那さんが先生の生徒だったと聞かされてビックリ。最初に勤務した高校の生徒さんということでした。その奥さんに言付けを頼み、透析日を挟んだ翌日に電話して、「元気にしております」。たまたま留守の時に電話したようです。しかし、結果的にこれがお声を聞いた最後となりました。

9月に訪問しようと電話したものの、会わせられる状態ではない事。そんなに具合が悪いのなら検査しましょうと医者が勧めても拒んでいる。とただならぬ様子。

翌年の3月(去年の3月)に電話すると、頭はしっかりしている。頑張ってバスに乗って病院に通っている。春になって暖かくなれば体調も良くなるのではないかと奥さんは涙声。

梅雨が明けてそろそろお電話をと思っていた矢先、とうとう訃報が伝えられた。それは先生宅を訪れた7月9日、その日なのでした。奇しくも、としか言いようがありません。今はただ、先生のご冥福を祈るのです。

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