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7月9日を迎えて その3

在学中はどうしようもない生徒でしたから知る由も無かった事も、この時の訪問で知りました。

お父さんも先生で、勤務した学校は1校のみ。ヒラの教師から校長まで上り詰めた。今は1つの学校に勤務できるのは10年までだが、その昔はこのような事も出来たそうです。

お兄さんが陸軍少尉で台湾から沖縄に向かている途中、輸送船が撃沈されて戦死している事。

そういえばこんな事がありました。入学して間もない頃、保健体育の先生が教室に入ってきたものの「起立、気をつけ、礼」をやらないので不審に思い、ルーム長(級長)になぜこのクラスはやらないんだと問いた事がありました。「(担任の)先生が軍隊みたいで嫌だと言うから」。あぁ、こういう事があったんだ。

お兄さんが戦死したことで家を継ぐ人がいなくなり、呼び戻された。お父さんの退職と同時にその学校に赴任したのが教師生活の第1歩。それから○○○○高校、○○高校と勤務して最後の勤務校が○○○高校。

○○○高校では学級担任は持たなかったが教師生活も晩年になり最後に担任を持ったのが我々のクラス。

話の途中で奥さんも加わり、「他の高校の生徒さんで訪れてくる人はいるけれど、○○○高校の生徒さんはさっぱり。お父さんの教え方が悪かったのかしらねぇ」

と言われしまって、これには言葉が出ませんでした。もしかしたら自分達が先生宅を訪れた第1号でしょうか?

2時間のつもりがお昼ご飯まで頂いて3時間になりました。

かつての生徒が訪ねてきたのが嬉しかったのか、時折涙ぐんでいるのかなという目をされていたのがきになりました。

結局、同窓会にお誘いする事は出来ませんでした。先生宅を辞する時、「○○○高校在学中はお世話になりました。ありがとうございました」と言うのが精一杯でした。

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