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見に行ってみる その2

さてさて、続きです。

懐かしい「汽車ポッポ」の標識を見つけましたのでこの様に考えました。

秩父鉄道は「汽車ポッポ」の宝庫かもしれない。

だって、本当に久し振りに見たんですよ。

そこで探してみる事にしたのです。

Dsc06117a
影森駅付近の踏切。

時間が時間ですので終着駅、三峰口駅までは行かないで引き返しました。

Dsc06135a
大野原駅付近の踏切。

現在でも現役の標識として使われている事を発見。三峰口駅まで行けばもっとあると想像します。

ところが、長瀞駅まで行くと
Dsc06137a
現代風の電車の標識なのです!

同じ秩父鉄道なのに統一されていない事を発見したのです。

標識の設置はは秩父鉄道がやるものではないにしても、不思議な事です(?_?)

その後、踏切を見る度に標識を確認していたのですが、見る限り電車のマークでした。

ところが、全くの偶然ですが、この様な標識を見つけたのです。
001
今尚、効力を発揮している標識かどうかはわかりません。
塗装の剥げっぷりといい、かといってどんな標識なのか想像できる微妙さといい、ちょっとやそっとではお目にかかれないやつれ具合!国宝級の標識であると思いました。標識マニアが見れば感動のあまり涙するのではないでしょうか。こういった標識こそ、いつまでも残してもらいたい標識です。場所を知りたい方、ご自身で探して下さい。

さて、ちょっとだけ秩父鉄道について調べてみました。出所はウィキペディアや“鉄ちゃん”のブログ、HPです。

1899年(明治32年) 上武鉄道設立
1916年(大正5年) 秩父鉄道に改称
1930年(昭和5年) 羽生~三峰口全線開通

とありました。特に昭和5年に三峰口駅まで開通した際、同時に電気架線されていたとの事です。電化されたのは戦後かなり経ってからかなぁっと思っていたのですが、かなり早くからでしたので驚きました。当時としてはハイカラな、1980年代風の言葉を使えばナウい鉄道です。実に、電化されてから今年で84年の歴史を誇るのです。

それなのに、あぁそれなのに、かのお標識様は「汽車ポッポ」のまんま。このあまりにも実情にそぐわない標識をなぜ今日も使い続けるのか?地方ならではの保守性がそうさせるのでしょうか。普通であれば、バカにするなと怒ると思うのですが、

一方で「汽車ポッポ」の標識について調べてみました。すると1986年\(◎o◎)/!から実情にそぐわないとして電車の標識に切り替えられつつあるようです。1986年でさえ十二分に古い標識なのに、それから28年(!)も経つ今日も使い続けるとは!いやはや、言うべき(書くべき?)言葉もありません。


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