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震災から1年

 震災から1年が過ぎました。去年の3月11日、午後2時46分、地震がありました。その時、私は具体的には書きませんが、“よく揺れるところ”にいました。その“よく揺れるところ”がうまい具合に地震の揺れを吸収したので、揺れそのものはあまり感じなかったのです。なんか変だなぁ、地震?という具合にしか。だから地震が来て真っ先に思ったのは正直に書きますとバイク、ST4sが倒れてないかが一番の心配でした。

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 その後は携帯電話が通じなくなってしまい、全く連絡を取る事が出来なくなりました。それでもあまり深くは考えないで、震源地は関東かその近辺。震度4または5強位だろうって。

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 帰りの車は渋滞で、帰宅するまで相当時間がかかりました。道中、ラジオを聞いて、携帯をワンセグにして画像を見ると、ビックリ。まさか、これほどの被害だとは思いもしませんでした。

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 その後はテレビに釘付けでした。毎晩、帰宅すると、普段はあまりテレビを見ないのに、ズーッとテレビを付けっ放し。津波が街を飲みこんでいく様子にいたたまれない思い。

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 更に原子力発電所が大きな被害を被り、建屋が爆破する様子はなんとも言えませんでした。空から、地上から原子力発電所を鎮めようとしている様子は自己犠牲の極致。これで鎮まってくれればと祈るような気持ちで見てました。

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 朝刊には毎日亡くなった方のお名前が地域と共に記載されていて、地域、苗字が同じ。年齢が近い、あるいは20数年から30数年離れている。それを見ると、兄弟かな?親子かな?っと想像出来てしまうんですよね。

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 この震災で世界各国から手を述べてくれたましたが、何とお礼を申し上げればよいのか、言葉も見つからないほど嬉しい事でした。そこに人類愛を感じたのは私だけでは無いはず。台湾は200億円も義援金を送ってくれて・・・。それなのにこの国の政府は何たる有様!今日の夕刊を見て知ったのですが、昨日の式典で不祥事発覚。手落ちのようですが、どこかの国に遠慮して意図的に手落ちしたのではないか?そういえば感謝広告も台湾の新聞には出さなかったとか。金額云々という訳ではありませんが、お礼はきちっとしないと。

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 最近、凄い事が判明しまたね。何と議事録が残ってない。これは言うまでもなく、当時の内閣の失態です。多くの方が犠牲になったのに、いくらなんでもあんまりです。貴重な教訓、今後の課題の宝庫なのに、これじゃやり切れないですよ。当時の総理大臣は今、何をやっているのか?八十八ヶ所を周っているのでしょうか?最近は全然聞こえてきません。

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 また、今回の震災は1人1人にお前ならどうするかを問うものだと思うのです。私とて他人をとやかく言えません。全然、何もしてないです。それでいて、まとまった休みがあると遊んでたりしてます。口先だけ(手先か?)と言われても反論できません。

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 亡くなられた方のご冥福と、被災地の1日も早い復興を願ってやみません。

 画像は昨年の11月に仕事関係の旅行で南三陸町に行った際に撮影したものです。前日はカラオケで声がカラカラになるほど歌いまくり、翌日は被災地を短時間ながらも見るという、物凄い落差のある旅行でした。それだからとやかくいう資格もないのですが、被災地の様子はご覧の通りで、心が暗くなり、言葉も出ませんでした。それでも仮設ながらコンビニやガソリンスタンドが営業しているのを見、鮭が遡上しているのを見ると、未来への希望も感じました。


 

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