どうしようかなぁ
今日もやはり高校時代の事を思い出していた。けして目立つような生徒ではなかった。どちらかというまでもなく目立たない生徒だった。先生方の記憶にも残らない生徒のはず。同じクラスの人とは卒業と同時に疎遠になってしまい、誰がどこで何しているのか、ほとんどわからなくなってしまった。クラスの人でさえこのような有様だから、他のクラスとなると咲かせるような昔話がない。
高校時代の一番の収穫は、やりたい事を見つけた事。それが今に続く旅だったりするのだけど、全くとまで言わないけど、職業に結びつくものでなかったのが辛い。「やりたい事を見つければ、自ずと進路が決まる」というような事を担任が言っていたと思うけど、あっちこっち行ってみたいじゃあ言いだせなかった。ましてやバイクに興味があるだなんて、とんでもない事。バイクに興味があるという事はメカニズムに興味がある、地理的な事に興味がある可能性があるのだけど、バイクというだけで否定されてしまう。
教科でいえば結構地理が好きで、地名を覚えるのは苦では無かった。地図を見るのも好きだったし、やっぱり旅行しているような気分になるのがよかった。何々性気候だとか、キャッサバが…、銅が…、石油が…、ドッガーバンクが…とか、産出物や資源に偏っている気がしていたけど、地理は好きだった。反面、歴史は嫌いで、年号や人物名を覚えるだなんて、ヤでたまらなかった。「いい国作ろう鎌倉幕府」だなんて、身の毛がよだつフレーズだった。今はそんな呪縛も無くなって歴史も好きなんだけど。地理の最後の授業で、1年間を振り返って「こんなものは地理ではありません」と担当の先生が言ったのが今でも引っ掛かっている。先生もやり切れなさを感じていたのだろうか。
国表ってわかるかな。「国語表現」のこと。この授業も選択していて、いろいろ文章を書いた。その中には自分の内面を書くようなものもあって、知られたくないので提出しなかった事もあった。ついつい本音を書いてしまうでしょ。それを読まれたり、プリントするから知られたくないなぁって。そういえば、悪い例の見本として、堂々と読まれた事もあった。開き直って聞いていたけど、何もあんなことしなくてもよさそうなもの。問題があれば個別に呼び出すべきではなかったか?今でもあれは思い出したくない思い出として残っている。まぁ、その先生は国語の先生だったけど、初めて国語表現を受け持って、どう指導してよいのか戸惑っている様子だった。国語表現は読む人によってまるで評価が異なる。ケチョンケチョンに評価されたけど、業者テストでは結構良い評価も受けた。点数を付けにくい科目だよね。
高校時代はね、ある意味、反抗していたのかもしれない。中学時代の反動が出たのかもしれない。今にして思えばまるで子供だったけど。後悔している事もある。教科でいえば、数学、英語、物理はやり直したい。クラス活動やクラブ活動も、もっと真剣に打ち込むべきだった。
さてと、こんな時間になってしまった。出欠を伝えなければいけないんだけど、いまだに迷っている。連絡をくれた人には感謝している。忘れられていないんだから、ありがたい事だ。でも何だか怖いんだな。卒業後の経緯や近況を聞かれるだろうし。誰が来るのか。自分のクラスでさえかくの如き有様なのに、他のクラスとなればなおのこと。名前が浮ばないのはよいほうで、顔が浮ばないのはかなり…。最近は毎晩卒業アルバムを開いていて、顔や名前を思い出しているけど、忘却の彼方に行ってしまっている人、多数…。写っている写真は、皆、若い。初々しささえ感じる。10人位出席するらしいけど、そのうち自分が知っている人は何人か?自分を覚えていてくれている人は何人だろうか?
写真は2009年夏、沖縄ツーリングにて。信号待ちで、つい、パチリ。
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