2010年12月19日の日記
本来ならもっと前に書く事なんだけど、ま、いっか。
ポリシーの無いブログです。忘れないうちに書いておこう。
慰安会の次の日、昼過ぎまで寝ていました。午後もだいぶ経ってからようやく起き上って、車を走らせて日本海へ。上信越道上越I.Cで降りて、国道8号線を糸魚川方向へ向かいました。
道の駅能生です。海産物を売っているお店がいっぱいあるんです。でも、その前に…。
2階にある食堂で、なんていう食堂だったけなぁ?ま、2階にある食堂です。そこで昼食?を食べました。奮発して地魚おまかせ定食、お値段3150円です。こーゆー時、私は奮発します。鯛、海老、ハマチ、サザエ、カレイのなんとか、かんとか、ほにゃらか、説明してくれたのですが、パッとは覚えられません。カニ汁とタラ汁のどちらかを選ぶのですが、タラ汁を選びました。
これが目当てです。東京に持って行く分と姉の所に持って行く分を買いました。これまた奮発して1500円のカニを3匹ずつ×2、箱代300円×2。更に200円上乗せして5000円×2にすると店のおばちゃん、更に大量のカニを入れてくれるのでした。
漁から帰って来た船でしょうか。能生漁港に帰還です。小学校2、3年の時の先生(怖いけど、優しい先生でもあった)が千葉県銚子の出身だったのですが、船が沈みそうになるほど魚をいっぱい捕っていたと話していました。漁船を見るといつもそれを思い出します。
来た道を戻りました。国道8号線から。日本海に落ちる夕日がきれいでした。九州から稚内まで、日本海沿いをズーッと走ってみたいです。
それから車を走らせてかの地に戻り、姉の所に寄りました。夕食を御馳走になったのですが、“昼食”から夕食まで2時間チョイ。全然空腹感がなく、あまり食べる事が出来ませんでした。
会話の中で「雪もないし、スタッドレスタイヤに交換しなくてもよかったなぁ」と話すと、「もう凍結しているから、履いてた方がいいよ」と言われました。
それからいつもの友達の所に寄って、UTKちゃんと遊びました。私の顔を見るとUTKちゃん、「風船!持ってきたかっ!」と元気いっぱい。ついこの間までこんな言葉は使わなかったのに、今はドンドン言葉を覚える時期なんだなぁっと実感。今回はちょっとズルして紙ふうせん。ゴム風船だと大変で…。顔まっかっかにして、プッツンなりそうです。この前のキティちゃんの風船がまだ健在でした。ブヨブヨになってません。
紙ふうせんだとすぐくちゃくちゃにしてしまうので、ゴム風船の方がいいですね。キティちゃんの風船をポンポン、ポンポンして遊びました。妹のMMRちゃんも一緒に遊びますが、まだチョット懐いてくれません。
風船に飽きると今度は縄跳び遊び。片方をママに持ってもらって、ゆっくりと回します。タイミングを見計らって飛び込もうとするのですが、UTKちゃん、飛び込めません。とうとう「ヘビして」というわけで、なわをニョロニョロ、ニョロニョロ。
ママが用事でいなくなって縄跳び遊びが出来なくなると、UTKちゃん、私の膝もとにちょこんとお座り。お絵かきを始めました。「UTKちゃん、重くなったなぁ」と言うと、妹のMMRちゃんの方が重みがあるとパパが言いました。MMRちゃんは何か話しかけようとしています。
去年は沖縄旅行のアルバムを友達に見せていたのですが、今回は幼稚園のアルバムが見つかりましたのでそれを披露しました。私の5歳の時の手形とUTKちゃん(もうすぐ5歳)の手を合わせると、UTKちゃんの方がデカイ。この子は大きくなるなぁっと思います。またUTKちゃんが生まれてから今日までのアルバムを見せて貰いました。
それにしてもよくぞここまで懐いてくれるようになった。初めはこの人だれ?という顔して、近寄ってもくれませんでした。それが今では膝もとにお座りするほどになりました。妹のMMRちゃんも生まれ、MMRちゃんをおんぶするなど、すっかりお姉ちゃんになっています。パパかママかがビンゴ大会で当てたデジカメをおもちゃにして遊んで、すぐに使いこなしてしまうお利口さん。
もっともっと遊んでいたいのだけど、子供に夜更かしはよろしくありません。帰る事にしました。寒いのに外に出て見送ってくれました。助手席のドアを開けて、タッチ!車を走らせてルームミラーを見ると、まだ見送ってくれてます。ブレーキを3回踏んでバイバイしました。
その後、高速道路のS.A、P.Aで仮眠を繰り返し、午前4時半、東京に到着。往復の走行距離、700km位。
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