10回目の沖縄 2009年の熱い夏 その30
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平和祈念公園から国道331号線を走ってひめゆりの塔に向かいます。
米須の地下ダム。広大なサトウキビ畑の下にダムがあるとは想像できません。確か宮古島にもあったと思います。そこに「命水」(ぬちぐすい)という石碑がありました。水は生命の源ですから、とてもいい言葉だなと思いました。
久志海上挺身隊慰霊碑。今回は以前回った所は省いたのですが、それでも慰霊碑の数々…。激戦地だった事が伝わってきます。
ひめゆりの塔に着きました。道路の向こう側です。左手の売店で花を買い、献花しました。
儀間真一氏の顕彰碑。10年前に来た時もありましたが、この敷地は寄贈されたものだという事を知りました。しかし、寄贈者はその事を語る事はしませんでした。土地となると異様に執着する人が多い中、その有様を見せつけられた事もある、世の中にはこのような美しい人もいるのだなと、10年前に来た時、感動したものです。
ひめゆりの塔です。亡くなられた方の名前が刻まれてます。献花台に花を添えました。ハチがブンブン舞っています。亡くなられた方の御霊が戻っているかのように思えるのです。
ひめゆり平和祈念資料館。300円。館内に入って展示物を見ていると、亡くなられた方の遺族と思われる方がお孫さんを連れて見学していました。「これがおじいちゃん、あんたらのひぃじいちゃんね。これがどこそこのおばさん…」と写真パネルを前にして説明しているのを目にしました。館内には亡くなられた方の遺影が展示されてます。爆風を…、破片を…、病院で…、眉間を…、行方不…と、読むのも辛くなる説明文が掲げてあるのでした。
今まで3回ひめゆり平和祈念資料館に行っているのですが、いずれも短時間でただスーッと通り過ぎたようなものでした。しかしながら今回、時間をかけて見学し、初めて証言者の方のお話を聞く事が出来ました。証言を聞いているうちに、あっ、この話、知っている、名前は何だっけ。迂闊な事に名前がどうしても思い出せませんでした。ネームプレートを見ても「証言者」としか書いてません。それで恐る恐るお名前をお伺いしたところ、第三外科壕で奇跡的に生き残った「私のひめゆり戦記」の著者、宮良ルリさんその人でした。見学者が宮良さんを取り囲んで、その証言を聞いてました。第三外科壕が毒ガス攻撃を受けた時の状況や、生徒を飯上げ(糧食の受領)に行かせる時、号令をかける先生も、もうこの生徒は帰ってこないかもしれないと思うと辛いものがあった事などを話されててました。そのお話の中で、私たちの頃は教えられた事をそのままに、疑う事を知らなかった。だから勉強しなさい、勉強しなさいというような事をしきりに話していたのが印象に残りました。今回沖縄に行くにあたって「私のひめゆり戦記」は読んだ本の中の1冊です。宮良さん自身の記録ですが、また懺悔録のようにも思いました。思い出すのも辛い事を本にして出し、更に証言者として館内に立っていたのです。今回は無理して沖縄に行き、後ろめたさを感じるほどですが、このようなお話を聞けて無理して行ってよかったなぁっと思うのでした。6月に見たドキュメンタリ映画「ひめゆり」にも宮良さんが出ていましたが、映画の頃と比べると、足腰が弱くなっているように見受けました。館内の冷房もちょっと効き過ぎて寒いぐらい。お体の負担を考えればもう少し設定温度を上げてもいいのにと思うのでした。
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この日は天気が不安定な日でした。降ったり止んだりの繰り返し。天気が良くなくちゃ楽しめないものがある!奥武島に急行しました。
奥武漁港にて。時の流れが止まったかのようです。これからグラスボートに乗ります。10年前にも、去年も乗りましたが、ここのグラスボートはお気に入りなのです。料金は大人1500円。10年前もそうだったと記憶しています。
餌を撒いて魚を寄せるのですが、そうでなくても日ごろ餌付けしているので船に寄ってくるそうです。
魚の名前を教えてくれましたが、とてもすぐには覚えられません。船に近寄ってくる魚は慣れていて警戒心が無く正社員、船の真下にいても底の方にいる魚は警戒心があってパートタイマーという説明でした。10年前は年中無休の従業員と説明していたっけ。
なんとウミヘビ君ご登場。ちなみにウミヘビは餌付け出来ないそうです。
アップしている写真はほんのわずかです。海がきれいだし、色とりどりの鮮やかな魚がたくさんいます。この奥武島のグラスボート、自分としてはお奨めなのです。
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雨で停滞を余儀なくされたものの、まだまだツーリングは続きます。路面が濡れているので慎重にバイクを走らせます。滑りやすい路面にヒヤヒヤしました。
糸数城です。迂闊な事に案内の写真をアップで撮ってないので、何がどうとは書けません。
グスク巡りをして思うのは、なぜ構造物が残されてないかという事です。復元された首里城を除いては、見ている範囲ではありません。この糸数城をはじめ、玉城城、佐敷城、具志川城、浦添城。さらに世界遺産に登録されている今帰仁城、勝連城、中城城。今回は行きませんでしたが、座喜味城。
まったくの空想ですが、薩摩に侵攻された時、徹底的に破壊されたのではないかと。更に記録に残すことさえ徹底的に取り締まったのではないかと。薩摩侵攻が200年前の事なら記録になくても人々の言い伝えで、おぼろげにもなんとか復元も出来るかなと思うのですが、400年も前ではそれさえも出来なくなってしまった。せめて世界遺産に登録されているグスクは復元出来たらと思います。
糸数アブチラガマ。時間が遅かったので、もう閉まってました。ここは、かつては激戦地でした。
白梅の塔。着いた時は既に暗くなってしまいましたが、沖縄県立第二高等女学校慰霊塔です。ひめゆり学徒隊が有名ですが、女子看護隊は白梅、なごらん、ずゐせん、、積徳、梯梧の各隊がありました。
白梅学徒看護隊自決之壕。暗くて全くわからなかったのですが、帰宅後パソコンに取り込んだん写真を見て、壕の中が黒っぽいのに気が付きました。実際に火炎放射機による攻撃を受けた壕です。
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浦添から識名園に移動します。ツーリングマップルを辿って、おおよそこの道だろうと見当つけてバイクを走らせます。
10年前に行ったのですが、園内あっちこっちに「ハブに注意」の立て札があったのが印象に残ってます。その昔、琉球王家の別邸で中国から来た冊封使を接待したとのことですが、10年振りの識名園を楽しみにしていました。
ところが…。
識名園に着いたものの、何だか様子が変だなぁっと思ったんです。閑散としている。なんでだろ?
そしたらなんと!これですよ、これ。もう、ガッカリしてしまいました。この日、19日は水曜日。たいていこのテのものは月曜日が休みのはずなんですが…。識名園は水曜日が休みだったのね。それでも夏の観光シーズンだし、まさか休みだとは夢にも思いませんでした。
見られないものはしょうがない。道に迷って迷って、ようやく国道331号線に出て、知念半島を回ります。
まずはお昼にしましょうとうことで、国道沿いのそば屋さんで食べました。イカスミそば。麺が黒いです。
琉球バス「玉城」バス停から。今回は10年前にこだわって、斎場御嶽や垣花樋川は通り過ぎることにしました。
鍾乳洞は整備されてますが、かなり歩きます。こんなに長く歩いたっけなぁ~と思いました。
鍾乳洞内にいる生物をいくつか展示してました。オオグチユコイとテンジンテナガエビ。
鍾乳洞で目に付いたのがこれです。小銭が投げ込まれているのですが、その数が夥しい。拾い集めればかなりの額になるはず、だなんて思わないでもないですが、見るに堪えない状況です。鍾乳洞に限らず何か神秘的なもの、霊的な場所によく見られる光景です。精神的な高ぶりの表れとも思えるのですが、気持ちとしては理解できるものの、あまり感心できません。お金といえども金属ですし、その金属が微量に溶けだして鍾乳洞の水質を悪化させるとも考えられるからです。お賽銭箱に浄財を投げ込む感覚なのでしょうが、これでは環境破壊そのもの。別の方法で気持ちを表すべきだと思いました。
機織り工房や三線工房、染物工房などがあり、沖縄をギューッと圧縮して体験できます。
王国歴史博物館。いろいろな獅子が展示されてます。
ハブショー。動物愛護法によりハブVSマングースの決闘は行われません。代わりにウミヘビVSマングースの競泳とハブの攻撃性の披露が行われてました。
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再び沖縄道を北中城I.Cから1区間だけ走って、西原I.Cで下りました。浦添ようどれに行こうとするのですが、手持ちの地図では道がよくわかりませんでした。さんざん迷って、ようやく着きました。
浦添ようどれに行くべくおおよそ見当をつけてバイクを走らせたのですが、よくわかりません。そんな時「当山の石畳道」というのを見かけました。写真がそれです。どこからどこまで続いているのかはわかりません。もしかしたらその昔、「金城町の石畳道」とつながっていたのかもしれないなぁっと空想。
浦添ようどれまでかなり道に迷いました。着いてみればなぁ~んだとなるのですが、手持ちの「ツーリングマップル」、および「沖縄・離島情報」ではわかりずらかったのです。写真は「浦添グスク・ようどれ館」。入館料100円。
実物の内部を実際に見ることは出来ませんが、「浦添グスク・ようどれ館」では西室を再現してます。
よくわからない説明でナンですけど、「浦添グスク・ようどれ館」からちょっと行ったところにある展望台から宜野湾市。
仲間あさと原の印部土手(なかまあさとばるのしるびどて)。明治以降使われなくなり、今ではほとんど見る事が出来ないそうです。
暗しん御門(くらしんうじょう)。前庭から二番庭の間にあります。かつてはトンネル状でしたが、沖縄戦で岩が崩れ、トンネルではなくなったそうです。
一番庭。東室と西室。浦添ようどれは琉球王国初期の王陵です。東室が尚寧王、西室が英祖王の墓といわれているそうです。「ようどれ」とは夕凪の事なんだそうです(パンフレットより)。
伊波普猷の墓。沖縄学の父といわれていますが、はじめて知りました。今回もいろいろと見て周りましたが、奥が深く、とても短期間では回りきれません。ゆっくりしてたね、と言われたりしますが…。沖縄を果物に見立てると、しぼり汁の濃さ、これが沖縄の魅力だと思いました。
ディーグガマ。遥拝所である御嶽ですが、納骨堂もあり、戦争の傷跡でもありました。
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この日、19日は沖縄市から那覇市まで走りました。実質的には、この日をもって沖縄本島を1周した事になります。
沖縄南I.Cから北中城I.Cの間にて。民家と思しき住宅の上に輸送機が…。10年前にもありまして写真を撮ったものです。10年前は塗装も鮮やかで、飛行機の形をしていたのですが、今や飛行機の形をしていません。
中城城です。8:30から見学できます。300円。着いた時は8時でしたので、30分待ちました。10年振りなのです。当時は世界遺産に登録されてませんでした。
三の郭。新城(ミーグスク)とも呼ばれます。
二の郭から一の郭への門です。当時の石工技術の素晴らしさを示しているように思いました。
一の郭です。発掘調査中でした。間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。(パンフレットより)
久高遥拝所。今回は行きませんでしたが、斎場(せーふぁ)御嶽にも久高遥拝所がありました。久高島は特別な島なのかもしれません。
10年前のG.Wでは久高島にも行ったのですが、那覇の食堂で「明日、久高島に行く」と言うと、「神の島に行くんですね」と言われた事があります。「神の島」と言われても何の事だかさっぱり…でしたが、特別な存在の島なんだなぁっと思っただけでした。当時は腰痛に悩まされていました(接骨院に通う事1年ちょい、もういいかなと思うようになるまで3年ちょっと通った)。の~んびりすれば腰痛が治る、治らなくても治るきっかけになるかもしれない、というわけで沖縄に行ったのです(2回目でした)。でも、行ってみたら梅雨のはしりで天気がイマイチ宜しくない。それにの~んびりなんかしれいられない“病気”も出てしまった。久高島、津堅島はもとより、宮古島に飛んで池間島、来間島、下地島、伊良部島、大神島、多良間島。更に石垣島に飛んで小浜島、竹富島を無計画に回ったのでした。
鍛冶屋跡(カンジャーガマ)。武具を造っていたとも伝えられている(パンフレットより)。
廃墟。正門を出て、向こうのほうにありました。更にその向こうにも廃墟があるような感じです。
10年前に中城城に来た時、博物館がありました。そこの展示物をおばさんが面白おかしく説明してくれました。今回沖縄に行くにあたって、10年前に行った中城城の博物館に行ってみるのを楽しみにしていたのです。ところがそれらしきものが…、ない。10年前の記憶を思い起こしてみても、思い出せません。案内もないし、そもそも中城城入口にあるプレハブは無かったはず。だとすると、もう、無くなってしまったのかなぁ。あの説明は、もう聞く事が出来ないのか。10年ぶりの訪れた中城城ですが、ちょっとガッカリしてしまいました。正確を期そうと当時のアルバム、メモを引っ張り出したのですが、料金500円がわかっただけでした。中城城の入場料300円(当時も今も変わらない)よりも高かったのですが、あの面白い説明を思えば安いものでした。
沖縄限定コーラ。中身は普通です。この日の“朝食”でした。ツーリングしているとご飯を食べる時間が取りにくいのです。
パンフレットにあったので行ってみる事にしました。伊壽留(読み方はよくわからないのですが「いじゅる」と読むのかもしれません)按司の墓。どういう人物だったのか説明文も無かったのでわかりません。「按司」とはこちらでいう“戦国大名”に相当するみたいです。
護佐丸の墓。
中城按司護佐丸盛春。唐名毛国鼎(もうこくてい)。琉球が三山分立から統一へ向かった頃の武将(?~1458)。名築城家、座喜味城、中城城を築いた。「毛氏先祖由来記」によれば、勝連城主阿麻和利から中山を防御するため、中城の地を賜ったとされる。1458年、阿麻和利の攻略によって滅びた。(パンフレットより)
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