10回目の沖縄 2009年の熱い夏 その29
平和祈念公園から国道331号線を走ってひめゆりの塔に向かいます。
米須の地下ダム。広大なサトウキビ畑の下にダムがあるとは想像できません。確か宮古島にもあったと思います。そこに「命水」(ぬちぐすい)という石碑がありました。水は生命の源ですから、とてもいい言葉だなと思いました。
久志海上挺身隊慰霊碑。今回は以前回った所は省いたのですが、それでも慰霊碑の数々…。激戦地だった事が伝わってきます。
ひめゆりの塔に着きました。道路の向こう側です。左手の売店で花を買い、献花しました。
儀間真一氏の顕彰碑。10年前に来た時もありましたが、この敷地は寄贈されたものだという事を知りました。しかし、寄贈者はその事を語る事はしませんでした。土地となると異様に執着する人が多い中、その有様を見せつけられた事もある、世の中にはこのような美しい人もいるのだなと、10年前に来た時、感動したものです。
ひめゆりの塔です。亡くなられた方の名前が刻まれてます。献花台に花を添えました。ハチがブンブン舞っています。亡くなられた方の御霊が戻っているかのように思えるのです。
ひめゆり平和祈念資料館。300円。館内に入って展示物を見ていると、亡くなられた方の遺族と思われる方がお孫さんを連れて見学していました。「これがおじいちゃん、あんたらのひぃじいちゃんね。これがどこそこのおばさん…」と写真パネルを前にして説明しているのを目にしました。館内には亡くなられた方の遺影が展示されてます。爆風を…、破片を…、病院で…、眉間を…、行方不…と、読むのも辛くなる説明文が掲げてあるのでした。
今まで3回ひめゆり平和祈念資料館に行っているのですが、いずれも短時間でただスーッと通り過ぎたようなものでした。しかしながら今回、時間をかけて見学し、初めて証言者の方のお話を聞く事が出来ました。証言を聞いているうちに、あっ、この話、知っている、名前は何だっけ。迂闊な事に名前がどうしても思い出せませんでした。ネームプレートを見ても「証言者」としか書いてません。それで恐る恐るお名前をお伺いしたところ、第三外科壕で奇跡的に生き残った「私のひめゆり戦記」の著者、宮良ルリさんその人でした。見学者が宮良さんを取り囲んで、その証言を聞いてました。第三外科壕が毒ガス攻撃を受けた時の状況や、生徒を飯上げ(糧食の受領)に行かせる時、号令をかける先生も、もうこの生徒は帰ってこないかもしれないと思うと辛いものがあった事などを話されててました。そのお話の中で、私たちの頃は教えられた事をそのままに、疑う事を知らなかった。だから勉強しなさい、勉強しなさいというような事をしきりに話していたのが印象に残りました。今回沖縄に行くにあたって「私のひめゆり戦記」は読んだ本の中の1冊です。宮良さん自身の記録ですが、また懺悔録のようにも思いました。思い出すのも辛い事を本にして出し、更に証言者として館内に立っていたのです。今回は無理して沖縄に行き、後ろめたさを感じるほどですが、このようなお話を聞けて無理して行ってよかったなぁっと思うのでした。6月に見たドキュメンタリ映画「ひめゆり」にも宮良さんが出ていましたが、映画の頃と比べると、足腰が弱くなっているように見受けました。館内の冷房もちょっと効き過ぎて寒いぐらい。お体の負担を考えればもう少し設定温度を上げてもいいのにと思うのでした。
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