10回目の沖縄 2009年の熱い夏 その21
この日、19日は沖縄市から那覇市まで走りました。実質的には、この日をもって沖縄本島を1周した事になります。
沖縄南I.Cから北中城I.Cの間にて。民家と思しき住宅の上に輸送機が…。10年前にもありまして写真を撮ったものです。10年前は塗装も鮮やかで、飛行機の形をしていたのですが、今や飛行機の形をしていません。
中城城です。8:30から見学できます。300円。着いた時は8時でしたので、30分待ちました。10年振りなのです。当時は世界遺産に登録されてませんでした。
三の郭。新城(ミーグスク)とも呼ばれます。
二の郭から一の郭への門です。当時の石工技術の素晴らしさを示しているように思いました。
一の郭です。発掘調査中でした。間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。(パンフレットより)
久高遥拝所。今回は行きませんでしたが、斎場(せーふぁ)御嶽にも久高遥拝所がありました。久高島は特別な島なのかもしれません。
10年前のG.Wでは久高島にも行ったのですが、那覇の食堂で「明日、久高島に行く」と言うと、「神の島に行くんですね」と言われた事があります。「神の島」と言われても何の事だかさっぱり…でしたが、特別な存在の島なんだなぁっと思っただけでした。当時は腰痛に悩まされていました(接骨院に通う事1年ちょい、もういいかなと思うようになるまで3年ちょっと通った)。の~んびりすれば腰痛が治る、治らなくても治るきっかけになるかもしれない、というわけで沖縄に行ったのです(2回目でした)。でも、行ってみたら梅雨のはしりで天気がイマイチ宜しくない。それにの~んびりなんかしれいられない“病気”も出てしまった。久高島、津堅島はもとより、宮古島に飛んで池間島、来間島、下地島、伊良部島、大神島、多良間島。更に石垣島に飛んで小浜島、竹富島を無計画に回ったのでした。
鍛冶屋跡(カンジャーガマ)。武具を造っていたとも伝えられている(パンフレットより)。
廃墟。正門を出て、向こうのほうにありました。更にその向こうにも廃墟があるような感じです。
10年前に中城城に来た時、博物館がありました。そこの展示物をおばさんが面白おかしく説明してくれました。今回沖縄に行くにあたって、10年前に行った中城城の博物館に行ってみるのを楽しみにしていたのです。ところがそれらしきものが…、ない。10年前の記憶を思い起こしてみても、思い出せません。案内もないし、そもそも中城城入口にあるプレハブは無かったはず。だとすると、もう、無くなってしまったのかなぁ。あの説明は、もう聞く事が出来ないのか。10年ぶりの訪れた中城城ですが、ちょっとガッカリしてしまいました。正確を期そうと当時のアルバム、メモを引っ張り出したのですが、料金500円がわかっただけでした。中城城の入場料300円(当時も今も変わらない)よりも高かったのですが、あの面白い説明を思えば安いものでした。
沖縄限定コーラ。中身は普通です。この日の“朝食”でした。ツーリングしているとご飯を食べる時間が取りにくいのです。
パンフレットにあったので行ってみる事にしました。伊壽留(読み方はよくわからないのですが「いじゅる」と読むのかもしれません)按司の墓。どういう人物だったのか説明文も無かったのでわかりません。「按司」とはこちらでいう“戦国大名”に相当するみたいです。
護佐丸の墓。
中城按司護佐丸盛春。唐名毛国鼎(もうこくてい)。琉球が三山分立から統一へ向かった頃の武将(?~1458)。名築城家、座喜味城、中城城を築いた。「毛氏先祖由来記」によれば、勝連城主阿麻和利から中山を防御するため、中城の地を賜ったとされる。1458年、阿麻和利の攻略によって滅びた。(パンフレットより)
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