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2011年3月

10年前

 10年前の今日は、それまで3年余通っていた接骨院での腰痛治療を打ち切った日だった。もう大丈夫かなぁっと思えた事と、通う事がなかなか難しくなったから。だけど先生からは、もう来なくていいよとは言われなかっただけに、今でもちょっと心に引っ掛かっている。

 当時はまだ“お医者様”の時代だったから、その尊大な態度にカチンと来る事もあったけど、年数を重ねるにつれいろいろと便宜を図ってくれるようになった。

 自分の経験のみでいえば腰痛治療は根気との闘いで、根気が続くかどうかで回復の具合が左右されると思う。もちろん原因によって違うだろうけど。これといった特効薬はないし、チョコチョコと治療しただけで治るようでは腰痛とはいえない。2歩前進1歩後退をチョッピリずつ繰り返しながら、ホンの少しずつ回復に向かう。日頃の生活にも細心の注意が必要で、重い物を持つ時はもちろん、くしゃみする時もかなり気を使う。遠慮なしに派手にやると腰にバシッと響いたりする。くしゃみのエネルギーはバカにできない。

 治療期間中ついにバイクに乗ってます、ツーリングが好きですとは言えなかった。北海道行ったり、沖縄に行ったり、奈良・吉野方面に行ったり、川崎重工明石工場を見学しに行ったりとはしゃべったけど。さすがにバイクだけはちょっとねぇ。腰痛でも日常生活に支障が無い範囲であれば、バイクに乗る事は可だと思う(原因によりけりだという事は言うまでもありません。専門家に相談する事を薦めます)。ただし乗れるバイクには制限があり、ポジションに無理のないバイクのみ。しかもなるべく車重が軽くて、尚且つ高性能サスペンションを装着したバイク。ST4sを選んだもう1つの大きな理由はフロントはチタンコート、リアはオーリンズと豪華なサスペンションを標準装備しているからでもあります。このサスペンションで不満があるのならそれはどうしようもない事だと思うのです。事実、前のバイクと比べるとサスペンションの良さを実感します。

 自宅からその接骨院まで歩いて10分とかからない。遠くないどころか近いのですが、通うのをやめてからまだ1度として先生に会った事が無い。やはり、当然のことながらちゃんとお礼を述べてから辞めるべきだったと思う。

 

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疲れた

 この頃最近は自分自身のプライベートな時間が極端に少なくなってしまった。ブログなんぞ書いている時間が僅かに残るその時間。バイクに乗ろうだなんて、チョット無理。本を読もうとしても、ホンの数ページで夢の中。今日も疲れた。

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いつもと同じ

 今日はいつもよりも早く帰宅できると思っていた。だけど結局はいつもと同じような時間でしか帰宅出来なかった。

 久し振りにST4sに乗ろうと思っていたけど、日が暮れると寒い。ついに乗らず終い。

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「3年B組金八先生」を見ていた

 今日は「3年B組金八先生」を見ていた。しかも今日の放送でもって、シリーズも終わってしまう。普段あまりテレビを見ないのだけど、やはりこれは見逃せない。実際に“3年B組”だったから、親近感もあるんだなぁ。

 放送の始まった1979年は管理教育がググーッと強くなり始めた時期でもあるから、こんな先生がいたらなぁっという思いで見ていた人が多かったのではないか。その頃はまだまだ中学3年生に全然達してなかったから、姉が食い入るように見ていてても、全く何も感じなかった。ズーッと後になって中学生になった時、再放送されたのを食い入るように見ていた。シリーズの2回目、1980年の時の加藤優が逮捕、連行されたシーンは今でも強い印象でよく覚えている。中島みゆきの「世情」がすごくマッチしていて、クラスの女の子ではあのシーンで涙を流したと、後で聞いた。今日の放送でもそのシーンがあった。

 ラストの体育館での金八先生の卒業式。平成19年度、13年度、11年度、7年度、昭和55年度、54年度の卒業生の名前を読み上げて、1人1人ではないけれど、それぞれのシーンがあった。遡るに連れ、時代を感じさせた。電話しているシーンがね、特に。携帯電話、固定電話の子機、黒電話。

 中学3年生、大人への階段を一歩一歩上がっていく時期。その頃を思うとまだまだ子供だった。でも…、今でも子供かもしれない、大人になりきれてない。「大人になる」とは永遠のテーマかもしれない。

 「1年B組新八先生」、「2年B組仙八先生」、「3年B組貫八先生」。このB組シリーズには確かこれらがあったと記憶している。結構、貫八先生も好きで、やはり再放送していたのを毎回見ていた。あの俳優さんは誰だったっけなぁ?「日清・どん衛」のCMに出てた人、時代劇で切られ役で知られていた人。誰だったっけ?確か川谷拓三さんだったような気がする。その人が歌っていた主題歌の「だけど泣かないさ」も結構好きだったなぁ。昔のテープを掘り起こせば、当時録音していたのがスクールウォーズの主題歌と共に出てくるかもしれない。

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関越道にて


昨日も被災地へ向かう自衛隊の車両を見かけました。

 昨日もやはり仕事で使う物を買い付けました。どこに行っても品薄どころか全く無く、どうしようかと考えてました。聞くところによると工場が被災してしまった為、入荷の見込みが全く無いとの事。


 いろいろ見ていく内に、これは!という物を発見。ちゃんとスタンプも押してあるし、代替品として使えるのではないか。僅かながら使用例も見た事がある。輸入品である事と、見た目がアレなので嫌がられるけど、実際には従来使っていたものよりも丈夫で、値段も今となっては安い。それでも一応使用できるかと確認したところ、大丈夫ではないかという返事。そこでこれを買う事にした。

 3件目のお店での事。やはり確認のため聞いてみると、今度は無理ではないかという返事。そこで不安になった。しかし、代替品としてはこれしかない。ま、なんとかなるだろう。そこでこれも買う事にした。

 帰ってマニュアルを見てみると、使用OKと書いてあり、取り敢えず安心。厳密にいえば何かが1ミリ足りないけど、その程度であれば…、誤差の範囲とも言えなくもない。

 今日はこのテの商品を専門に扱うお店で聞いてみた。「そのような例は知らないけど、使えるのではないか。物が無いから使わざるを得ないだろう」という返事だった。

 ↓のヤツはまだ正式決定ではないとの事。安心した。

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ハラハラドキドキ

 迂闊といえば迂闊なことかもしれない。

 仕事で必要になる物が入手困難になった。あれもない、これもない、いつ入荷するかわからない、等。昨日まで大丈夫?と問い合わせていて大丈夫と返事を貰っていたのだけど…。今日になって今後は種類を絞って生産するというメーカーからの通知があった事が判明した。それが結構な数になるらしい。

 元々種類が多過ぎると感じている物で、すぐに廃番になってしまうものが少なくない。だから生産中止となってしまうのが出ても不思議では無かった。必要数より少ないのは困ってしまうけど、必要数より多くても困ってしまう。だけど、それを見極めるのは至難の技。やや少なめ、不足分が出たら追加注文というのがこの頃のパターンだった。次回使用する事がほとんど無いので(あまりにも種類が多過ぎる為)、余ってしまうと置き場所に困るし、かといって使用見込みはほとんどない。そのうち痛んでしまって使い物にならなくなってしまう。そうなると不良在庫そのもので、泣く泣く廃棄する羽目になる。お金を払って購入した物を、お金を払って捨てるハメになるわけです。

 だからある程度確定するまでは注文出来ない訳でして。それに今回はサンプルが欲しいという事で取り寄せたのだけど、サンプルが欲しいという事は変更になる可能性もあるという事なので尚更注文出来ない。それでも震災による影響は、生産に関しては無いという事で安心していた。ところが生産をやめてしまうものが大量に発生したのだから真っ青になってしまう。あらかじめ注文していたのなら、時間がかかっても入手可能だったけど、そうではない。決して安いものではないからそれは出来なかった。

 これは大丈夫?と問い合わせしたのだけど、もうこの時間では明日にならないとわからないという返事。発売から8カ月しか経っていないものだけど、過去の例からすれば廃番になってしまう事も考えられる。僅か8ヶ月で。どうか、どうか、生産中止になってませんように。

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新聞で

 新聞で毎日、震災で犠牲となった方の名前、年齢、居住地が掲載されてます。お年寄りから年端のいかない子供まで、判明され次第載ってます。

 それを見るとですね、何とも表現できない気持ちになります。名前、年齢、居住地しか書いてないのですが、苗字が同じで居住地も同じだったりすると、親子かなぁ、夫婦かなぁ、幼い兄弟かなぁ、祖父母とそのお孫さんかなぁっと想像できてしまうんですよね。

 幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれて…、というのが今日の新聞記事にあったのですが、何とも痛ましい事です。

 震災で犠牲となった方のご冥福をお祈り申し上げます。

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晴れますように

 昨日今日は休み。天気に左右される仕事なんで昨日は出ようかなと思ったけど、疲れたので休んでしまった。予定ではもう終了していないと行けないんだけど、入荷が未定で…と言い訳してしまい、引き延ばしてしまった。理由しては、その仕事が終了してしまうと次の仕事に間が空いてしまうから。それに、やはりカレンダー通り休みたい。忙しい時は忙しいけど、ヒマな時はヒマ。これが平均してくれるといいのだけど、なかなか…。

 明日は晴れますように。

 

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落ち着きを取り戻しつつ…


東京・練馬区の某所にて。この下は外環道という所です。半旗が掲げられてました。

 今日も相変わらずガソリンスタンドは大行列。昨日以上といった感じです。開店前のスタンドで、「19日休業」と掲げられているのにかかわらず、営業する事を見込んでまで並んでいるほどです。

 でも今日は今までのギスギスした様子があまり感じられませんでした。つい昨日までは赤信号でも交差点に侵入してきたり、イラついた様子でクラクションを鳴らしたり、こちらが左ウィンカーを点滅させて左折の合図をしているのにかかわらず左すり抜けするバイクを運転する人がいたりと、ヒヤヒヤする事が多かった。

 あれから1週間が経過して落ち着きを取り戻しつつあるのでしょうか。ホームセンターに行っても、1週間前の騒がしさはありません。でも変化はありますね。震災前は728円で有り余っていたものが、昨日は1480円!に値上がりになってしまい、しかも数量限定。今日も行ってみたら売り切れだった。その商品、業務で使う基本的な物だから必要が生じてからでは遅い。高くてもあるだけまし。だから買わざるを得ない。昨日、買っといてよかった。これも買占め行動の1つかもしれない。これは極端な例で、倍以上になったものは、見る範囲では他にない。聞いた例ではあるけれど。

 でも、震災前は中1日あれば入荷すると確認していたものが、 なかなか入って来なかったりします。それを口実にして、ナントカも方便とばかりに、引き延ばす、なんて事もやってしまいました。

 

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がんばろうね

 一昨日の仕事先での事。聞き耳たててるわけではないけれど、聞こえてくるものはしょうがない。オバサン達の井戸端会議の声が聞こえてきた。話題はやはり震災の事。この近辺でも物資が不足して、何々が1人1個までとか、あれがある、これが無いとかの話題だった。長いというほどではなかったけど、話の終わりが「がんばろうね」だった。そう、がんばろう。草の根からこの言葉が出るんだから、この試練は乗り越えられる、そう確信した。

 原発から放射能が漏れて、最悪の事態を防ごうとヘリコプターで放水している画像が、帰宅後テレビから流れていた。それを行う隊員たちの許容被曝量を引き上げての行動で、自らの被曝を顧みず、自己犠牲の極致のように思えた。ヘリコプターは放射線を浴びてこのミッションが終われば使い物にならないだろうし、搭乗する隊員たちにも、もしかしたら深刻な影響が出るかもしれない。俺達がやらなければ誰がやる?の心境かもしれない。命令する方も辛かろう。現代版、神風特別攻撃隊といえるのではないか。これで鎮まってくれればと祈るような気持ちで画像を見ていた。

 また今日というか昨日は自衛隊、消防隊、東電職員で交代して放水車で放水しているとニュースで流れていた。これも大変危険な事。危険を顧みず放水している有様に、ある種の美しさを感じるのは自分だけだろうか。空から地上からと総力戦の様を呈してきた。早く鎮まりますように…。

 

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SOLD OUT

ここでの給油は諦めた。別の所で順番待ち

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発見!

発見!
給油待ちで並んでいると、こんな風景を見つけました。

郷愁感に誘われる風景です。懐かしいですね。

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あと300m

ナビウォークで見たら、スタンドまであと300m。どのくらいかかるのかなぁ。被災された方からみれば、何でもないことだけど…

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給油待ち

給油待ち
給油待ちの列に並んでいます。

退屈なんでブログ更新。

いつになったら出来るのやら。

仕事の車は動かせる状態にしておかないとなりません。

長時間並んでいるのですが、エンジンかけっぱなしの車もいたりします。

切羽詰まってないのなら、給油は遠慮して欲しいなと思います。

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悔しいけど

 ちょっと前に、仕事の依頼があって打ち合わせをという事にしたのだけど、都合が悪くなったようで、来なかった。仕方ないから自分なりの想像でこんなもんだろうと見当を付けておいた。他で顔を合わせる事があったので、その事に着いていろいろ話した。だけど、要点がわからず、やはり現地で「打ち合わせを」という事になった。その後、連絡がさっぱり来ないから別の方法でやるようになったのかなと思っていた。

 こ

   ろ

    が


 今日になってファックスが来ていた。だけど、それを見ても何が何だかチンプンカンプン、まぁ、それは言い過ぎだとしても、書いた人だけがわかるという代物だった。意図するところを組むと、こんなの無理、出来ないという結論に達した。求められるレベルが高過ぎて、もっと専門的な業者がいいと言わざるを得ない、悔しいけど。タミヤのプラモデル如きの精密さを要求される内容で、アナログチックな事をやっていては、とても対応できない。ちゃんとした設備を備える業者でないと、とても無理だと判断した。それでも何とか出来るかもしれないという事でこの時間までネット検索をしていたけど、肝心なところはさすがに出てこない。後から問題が出ては大変なので、これは断る事にした。

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燃料が欠乏


 今朝、ガソリンを入れようと列に並んだのだけど、売り切れ。開店する気配もなさそうなので、あきらめた。燃料計がEを下回ってしまい、心細くなった。


 そこで、セカンドバイクであるKSR110からガソリンを移した。もしもの場合、このバイクが活躍するかもしれないなぁっと思う。本来ならばST4sから抜くべきかもしれない。この燃料で仕事先まで行き、その帰り、開店しているスタンドで20リットル給油できた。タンクローリーを見かけると、ついて行きたくなった。

 今日もまた、休業状態のスタンドを随分と見かけた。開店しているスタンドが少なくて、しかも長蛇の列。しかも日中でないとやってないので、給油のチャンスがなかなかない。

 でもこれは被災された方からすれば、何でもない事。燃料が無くて物資が輸送できない、暖房用燃料が欠乏して寒い。新聞、ラジオ、テレビで報道されると、心が痛みます。

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今日も…

 今日もテレビに釘付けです。悲惨な映像が流れてますが、1人でも多くの方が救出される事を願ってやみません。

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映像に目をそむける

 今日もまた、トレーラーに重機を積んだ自衛隊の車両を見かけた。連日の報道に釘付けになっている。大自然に対して人間とはなんと無力なのだろう。テレビで津波に巻き込まれる映像を見ていたけど、被災された方が気の毒でならない。

 被災された方に比べれば何でもない事だけど、今日は道路は大渋滞。目的地までのルートを誤るとえらく時間がかかってしまう。ガソリンスタンドも長蛇の列で、売り切れで閉店してしまっているスタンドを随分と見かけた。現実に、引き取りを依頼したものの、燃料が無いので車が動かず、引き取りに来てくれなかった。ある資材を発注したのだけど、渋滞がすごくて、燃料が無くて配送が止まってしまい、入荷見込みがたたないと言われてしまった。

 コンビニに行くと、パン、カップめん、弁当が軒並み無くなってしまった。

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助け合いの心

 世界の各国から緊急援助隊がやって来ている。ありがたい事だ。大災害に対してこのように助け合う姿に人類愛を感じるのは自分だけだろうか。人間って素晴らしいなと思わずにいられない。

 その一方ではいがみ合っている。なぜ仲良くできないのか、不思議でならない。ありがたく感謝しつつも、さもしい事かもしれないけど、領土問題なと忘れてはいけないと思う。自分だったらチャンスとばかりにこういう時を狙う。

 歴史に残る災害だと判断する。関東大震災と同様に、日本の歴史に大きく刻まれるだろう。日本人としての矜持を保ち、この困難を乗り越えようではないか。これからは輪番停電など不便が生じるけど、甘んじて受け入れようではないか。

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震災、翌日

 今日は朝、陸上自衛隊朝霞駐屯地の前を通ると「災害派遣」のプレートを掲げたトラックが出されていた。また、トレーラーに重機を積み込んでいるのも見かけた。これから被災地に向かうのだろう。帰りにまた朝霞駐屯地の前を通ると、りっくんらんど(陸上自衛隊広報施設)が閉館していた。全力で支援にあたっているのだろう。

 今日のコンビニではパン、ペットボトル飲料、(お茶や水)、カップ麺がごっそりと無くなっていた。被災地に向けられているのだろう。なんだ、何にもねぇじゃねぇか、と不満の声が上がらないのがこの国のいいところだと思った。普段はあまりテレビを見ないのに、今はテレビにくぎ付け。南三陸町で1万人の安否が確認できないなど、痛ましい限り。涙が出る思い。

 今、余震があった。家がミシミシした。

 今日は同級会は延期。また、日を改めてやるらしい。お昼頃、もし今日やるのであれば行く事が出来ない。そう、連絡しようと電話したら、延期になった事が判明した。川崎にいたけど電車がストップして、新宿まで歩いたと言っていた。

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地震

 今日は地震があった。それも激しい。

 地震があった時、具体的には書かないけど、“よく揺れる所”にいたので、なんかヘン、ぐらいにしか感じなかった。“よく揺れる所”にいたので、かえって揺れを感じなかった。それでもこんな揺れは今まで経験が無い。駐車場にある車が“踊ってる”のを見て、地震と判断。踊り具合からして震度6と判定した。

 その後何回か揺れを感じたけど、これでおおよそは納まったと思い、仕事を続行。終了後、帰路に着いた。帰りの車は大渋滞で、普段は1時間もかからないのに2時間以上もかかってしまった。ケータイも通じない。

 判断が甘かった。妻子ある人は仕事を中止して、帰らせるべきだった。ラジオで聞いて、ケータイをワンセグにすると、各地の被害状況が出ていた。かなりの被害に驚いてしまった。こうなると家の事が心配になった。本棚が倒れているんじゃないかとか、バイクが倒れているんじゃないかとか。

 結果としてはそんなこと無くて、ホッとした。バイクの倒れる方向によってはシャッター、窓ガラス、サッシにもダメージが及んでしまう。

 テレビを見ていると岩手県宮古市の画像があった。ここは前にコメントを寄せてくれた「ふじわら」さんがいる所の可能性が高いと思われ、気になります。

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どうしようかなぁ

 今日もやはり高校時代の事を思い出していた。けして目立つような生徒ではなかった。どちらかというまでもなく目立たない生徒だった。先生方の記憶にも残らない生徒のはず。同じクラスの人とは卒業と同時に疎遠になってしまい、誰がどこで何しているのか、ほとんどわからなくなってしまった。クラスの人でさえこのような有様だから、他のクラスとなると咲かせるような昔話がない。

 高校時代の一番の収穫は、やりたい事を見つけた事。それが今に続く旅だったりするのだけど、全くとまで言わないけど、職業に結びつくものでなかったのが辛い。「やりたい事を見つければ、自ずと進路が決まる」というような事を担任が言っていたと思うけど、あっちこっち行ってみたいじゃあ言いだせなかった。ましてやバイクに興味があるだなんて、とんでもない事。バイクに興味があるという事はメカニズムに興味がある、地理的な事に興味がある可能性があるのだけど、バイクというだけで否定されてしまう。
 教科でいえば結構地理が好きで、地名を覚えるのは苦では無かった。地図を見るのも好きだったし、やっぱり旅行しているような気分になるのがよかった。何々性気候だとか、キャッサバが…、銅が…、石油が…、ドッガーバンクが…とか、産出物や資源に偏っている気がしていたけど、地理は好きだった。反面、歴史は嫌いで、年号や人物名を覚えるだなんて、ヤでたまらなかった。「いい国作ろう鎌倉幕府」だなんて、身の毛がよだつフレーズだった。今はそんな呪縛も無くなって歴史も好きなんだけど。地理の最後の授業で、1年間を振り返って「こんなものは地理ではありません」と担当の先生が言ったのが今でも引っ掛かっている。先生もやり切れなさを感じていたのだろうか。

 国表ってわかるかな。「国語表現」のこと。この授業も選択していて、いろいろ文章を書いた。その中には自分の内面を書くようなものもあって、知られたくないので提出しなかった事もあった。ついつい本音を書いてしまうでしょ。それを読まれたり、プリントするから知られたくないなぁって。そういえば、悪い例の見本として、堂々と読まれた事もあった。開き直って聞いていたけど、何もあんなことしなくてもよさそうなもの。問題があれば個別に呼び出すべきではなかったか?今でもあれは思い出したくない思い出として残っている。まぁ、その先生は国語の先生だったけど、初めて国語表現を受け持って、どう指導してよいのか戸惑っている様子だった。国語表現は読む人によってまるで評価が異なる。ケチョンケチョンに評価されたけど、業者テストでは結構良い評価も受けた。点数を付けにくい科目だよね。

 高校時代はね、ある意味、反抗していたのかもしれない。中学時代の反動が出たのかもしれない。今にして思えばまるで子供だったけど。後悔している事もある。教科でいえば、数学、英語、物理はやり直したい。クラス活動やクラブ活動も、もっと真剣に打ち込むべきだった。

 さてと、こんな時間になってしまった。出欠を伝えなければいけないんだけど、いまだに迷っている。連絡をくれた人には感謝している。忘れられていないんだから、ありがたい事だ。でも何だか怖いんだな。卒業後の経緯や近況を聞かれるだろうし。誰が来るのか。自分のクラスでさえかくの如き有様なのに、他のクラスとなればなおのこと。名前が浮ばないのはよいほうで、顔が浮ばないのはかなり…。最近は毎晩卒業アルバムを開いていて、顔や名前を思い出しているけど、忘却の彼方に行ってしまっている人、多数…。写っている写真は、皆、若い。初々しささえ感じる。10人位出席するらしいけど、そのうち自分が知っている人は何人か?自分を覚えていてくれている人は何人だろうか?

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写真は2009年夏、沖縄ツーリングにて。信号待ちで、つい、パチリ。

 

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どうしようかなぁ

 昨日は日中に、一昨日の夜に電話をくれた人から連絡があった。出席できるかどうか訊かれたのだけど、保留。その人も出席できるかどうかはわからないらしく、遅れるかもしれないとの事だった。「で、誰が来るの?」と訊くと、2人の名前を上げた。ハテ?誰だろう?と一瞬思ったけれど、何となく聞き覚えがあるような感じがした。申し訳ないけど他クラスの事なので、多分あの人だろうなと思ってもあまりピンとこない。

 行こう!と思う反面、もうそれはすでに過ぎ去ってしまった過去の事であり、懐かしく思う事はあってもそれはそれ。今更、もう、だなんて思ったりしてしまう。旧交を温め合うというよりも、新規の出会いに限りなく近い感じ。もうそれだけ遠くなってしまったのだろうか。高校時代の事は表面上覚えてないと言っても、忘れるわけはない。高校時代の1番の思い出は…、もちろんあるけれど、今になってもそれは誰にも言えない。共通の思い出となると、かなり心細い。

 なんかすごく勇気がいるな。普段会ってないどころか、最後に会ってからン年も経っているし、連絡のしようが無くなって久しい。「あなたはだれですか?」、「○○□□です」、「さぁ?」なんて言われそう。言われてもおかしくないし、自分からも言える。酒のある所ならどこへでも…、といってもこればかりは、ね。せっかくの機会だも行かなきゃ損だとか、行ったところで別に…、とか、行こうか行くまいか揺れ動いている。卒業アルバムを見ても苦い思いが湧きあがってくる。あーすればよかった、こーすればよかったとか。イマイチ気が進まない。

 それにしてもよくつながりが継続していたなぁ。先週連絡をくれた人はどうやって自分のケータイ番号を知ったのだろうか?教えて貰ったらしいけど、自らは教えた記憶が無い。教える機会も、もちろんない。

行く
行かない
行く
行かない
行く
行かない

 ある意味楽しみなんだけど、ある意味怖い。行かないと後悔しちゃうかな。行ったら早く帰りたいと思うかな。

 今はちょうど卒業式の時期。高校の卒業式の時、涙は全く出なかった。悲しいというよりも、ようやく束縛が解かれて嬉しくさえ思った。最後のHRで担任が「若い時の1年や2年なんて、何でもないですからね」と言った事を今でも覚えている。そのあと、時間が来るまで教室にいて、お世話になった先生に挨拶して、クラブの送別会に参加。後輩たちから貰った時計は今でも、東京にはないのだけど、時を刻んでいる。顧問の先生から、話し方の独特の間が…、なんて言われたな。悪い意味じゃないですよ。最後の挨拶で「高校時代に忘れられない思い出が出来れば、いい高校生活だったと言えるのではないか」、そういうような意味の事を言ったのを覚えている。
 その夜はクラスの全員ではないけれど、集まれる人が集まってある民宿の部屋でいろいろと話したり、トランプをしたり、夜遅くまでワイワイガヤガヤ。隣の部屋からうるさいとばかりに「ドンドン」と壁を叩かれた。次の日の朝、「じゃあ、元気でね、バイバイ」と別れた光景を今でも覚えている。あれ以来会う事もない人もいるし、会う事があっても既にン年も経ってしまった。
 それからその日ではないと思うけれど、入院して卒業式に出られなかった人を見舞いに行って、また入院した同じクラブの人を見舞った後、東京に来た、戻った。東京に戻る前、祖父が「東京に行っても、ここにいた事は覚えていてくれ」と言ったっけ。その祖父も、もういない。

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どうしようかなぁ

 今日連絡が来なかったら明日、電話をくれた人に連絡してみようと思っていた。そしたら、別の人から連絡が来た。登録していない番号だったので出ないでいたら、留守電にメッセージが入っていた。東京にいる同じ高校の出身者だけで同級会をやるので出欠を知らせてほしいとの事。

 どうしようかなぁ。

 高校時代の素行を振り返れば、褒めたものではない。荒れていたとか、警察のお世話になったとかそんな事は無かったけれど、当時よくいわれていた三無主義を地で行っていたようなもの。中学までは周りから言われた事をやってれば褒められた。褒められればやる気も出る。でも高校に入ってオレは何をやりたいんだろうと思うと、それさえ考えた事のない自分に気が付いた。毎日が悶々として、過ぎゆく1秒が長かった。そんな時フト、地平線が見たいなぁっと思って。それが今でも続くバイクツーリングだったり、そうでなくてもあっちこっち旅行する事につながるんだけど、当時は15歳。法律的に乗る事は出来ない。それはそれで理解できるのだけど、16歳になっても免許は取れなかった。なぜかって?高校では免許の所得が認められてなかった、法律では認められているのに。“校則>法律”と逆転してしまって、すごく窮屈に感じてね、自由に物凄く憧れていた。今にして思えばこれはこれ、あれはあれと割り切ってもよかったのではないか、と思ったりする。けれど当時は一事が万事で考えが浅く、今にしてみればまるで子供だった。それでも当時は真剣だった。

 当時の高校生、少なくても自分にとってはバイクというものは自由の象徴だった。自分の意思で進む事もできる。止まる事も出来る。右にも左にも曲がれる。でも当時の高校生活というものは鉄道の線路みたいで、その線路上しか走る事が出来なかった。右に曲がってみたい、左に曲がってみたいと思っても、余計なことはするな考えるなだから窮屈に感じた。人によってはそんな事に疑問に感じない人もいるだろうけど、疑問に感じてしまった自分にはそのような人に対して距離を置いてしまう。本心を打ち明けられない。「君は友達が少ない」と担任に言われた事もあった。

 で、どうしようかなぁっとなるわけで、「あなたは誰ですか」と言われても不徳の致すところ当然だし、逆の事も言えてしまう。昔話に花を咲かせたくても、咲かせるような昔話もないし、話上手、話題豊富というわけでもない。普段でも会話が止まってしまう事も少なくない。人の縁は大切にしたいと思いつつも、これだけはもういいかなと思ったり…。連絡をくれた2人とも同じ中学出身で同じ高校に進学したけどクラスは別…。今頃、みんな、どうしているかなと思うけれど…。

 以前読んだ本の中で高校の校長先生だった方の、高校生ぐらいになれば行動力を持ちたいと思うのは当然のこと、というような記述がありました。救われたような気持ちになったものでした。

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埋め合わせ

 今日は昨日サボった埋め合わせのため、仕事に出た。大した仕事ではないのだけど、面倒臭い仕事だった。

 詳しくは書かないけど、取り付けに無理があって高い確率で不具合が出そうなところをどうにか手当てする、というような内容。こんなものできないよぅ。自然の摂理に反する事なんて、所詮無理。魔法使いじゃないただの人間がやっているんだし。

 しかもこの仕事、他の業者さんと絡んでしまう。その業者さんは何かと細かくて、二言目には保証云々と言ってくる。確かに言うだけあってきちんとした仕事をしているけど、あまりかかわりたくないのも事実。不具合は発生した原因をこちらに向けられては、いい迷惑。取り付けに無理があるのだから、それを直さない限りは防げない。

 したがってあまり乗り気になれなくて、ダラダラと…。言われた事だけやればいいやとテキトーにしておいた。

 せっかくの休日、しかも暖かい。バイクに乗れなくて、残念だった。

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BEGINのあやぱに音楽祭

 今日は仕事サボって時間を作って、日本武道館まで行ってきた。こんなことするのは心苦しいんだけどさ、こーでもしなきゃ時間、作れないわけよ。でも、こんなことしてるから、ブログ書いてま~す、見て下さいと周囲に言えないわけ。“悪事”の数々、バレちゃうから。

 最近2人の人から「昔はよく、スキーに行ったなぁ」なんて言われたけど、こー思うわけ。

 ふ~ん、スキーに行く時間、あったんだぁ、と。

 内心、すごく、うらやましい。スキーに行く時間なんて、無かった。さてさてさて、愚痴はこれで終わりにしよう。

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 急いで帰宅して「汗臭い、埃っぽい、爪黒い」を出来るだけ直して、日本武道館まで駆けつけて、着席と同時にスタート。まさに危機一髪、じゃなくて間一髪で間に合った。


 いや~、楽しかった。ここでアレコレ書くなんて、野暮、というもの。とにかく楽しかった。ステージ前の席なんて、総立ちで、 ミュージカル「マンマ・ミーア!」を彷彿させた。腰の痛いのもふっ飛んで、スタンディングしちゃったよ。もう、沖縄にいる気分になった。また沖縄に行きたい!「八重のふるさと」を聴いたら、石垣島の風景をグルグル思い浮かんだ。平久保崎とか、御神崎とか、川平湾とか、八重山ヤシ群落とか、石垣島はトンと御無沙汰している。行ってみたいなぁ。

 モリモリに盛り上がって、指笛が飛び交い、カチャーシーを踊る。相変わらず“ワイパー”になっちゃうけど、お構いなし。沖縄にいるような気分になってしまった。

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う~ん

 昨夜は更新しようとブログを書いたものの眠気には勝てず、内容も支離滅裂。あまりにもお粗末過ぎる文章で保存もせず、消去して眠ってしまった。

 夜早過ぎない遅過ぎない時間に連絡してみた。同窓会というよりは同級会で、全クラス合同でやるみたい。誰が来るのかわからないし、当の本人も都合が付かないようで来れないらしい。もちろん、自分もわからないけど。

 ケータイ番号を知った経緯を訊いてみると驚いた。回り回って知ったらしい。出所はどこか、すごく気になるところ。これも、袖触れ合うのも・・・、というものか。

 今日の連絡では片手で数えて…、という人数らしい、全クラス合わせて。自分のクラスなら名前だけはわかるけど、他のクラスとなると…。どうしようかなぁ。都合を付けて行くか、都合が悪くてと断るか。

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突然の連絡

 昨夜、寝る前にケータイを見ると、登録してない番号からの着信があった。しかも留守電のメッセージ付き!ハテ?誰だろう?仕事関係でクレームの電話かと、ヒヤリとする。デタラメな事はしてないつもりだけど、10を3で割る事も時には必要になり、余った1はどこかに持って行かざるを得ない。持って行く先が悪いとクレームとなってしまう可能性が大。口下手な私、このテの事はヤなのです。

 さて、恐る恐るメッセージを聞いてみると、なんと声の主は同じ中学校出身で同じ高校に行った人からだった。中学、高校とクラスは違っても生徒数の少ない中学校ではクラスの垣根はあってないようなもの。高校になってからクラスの垣根が高くなった。中学の同級会で最後に会ってから10年以上が経つ。電話番号は教えてないのによく番号がわかったものだ。

 さて用件はというと、高校の同窓会のお知らせだった。関東会というものがあるらしい。クラスの違う人からの連絡だし同窓会というのだから、クラス、卒業年次が違う大規模な集まりかもしれない。「連絡をくれると嬉しいです」と心を揺さぶる言葉で締めくくっていた。

 高校を卒業して何年かして各クラス合同で同級会をやって以来、うちのクラスでは2回同級会を開催している。合同での同級会には出席したのだけど、クラスの同級会には2回共出席してない。最後に開催されてから早ン年。ン年前に結婚式に呼ばれて2名の同級生に会ったのが最後になってしまった。残念だけど誰がどこでどうしているのか、ほとんどわからなくなってしまった。 

 高校時代を振り返るともちろん懐かしくは思うのだけど、その当時に戻りたいとは今でも思わない。小学校、中学校と窮屈さを感じていき、高校はそのピーク。当時の手記を読んだり思ったりすればまるで子供だったと今になって思えるのだけど、当時はそれなりに真剣だった。やり切れなさが常に付きまとって、そのやり切れなさをどこに持ってっていいのかわからなかった。尾崎豊さんの「卒業」を聴くと、今でも当時のやり切れなさが蘇ってくる。「卒業」は当時の高校生のやり切れなさをものの見事に代弁した歌だと今でも思う。

 夜の早い内に連絡すべきなのだが、まだ連絡はしていない。久し振りに卒業アルバムや同窓会名簿を見てみた。今更別にいいやと思ったり、行ってみようかなと思ったり。心は揺れ動いています。

 
 

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日本航空、B747退役

 今日のニュースで「ジャンボ」の愛称で親しまれる日B747が、日本航空の国際線、国内線共に引退するという記事があった。1つの時代を感じさせるニュース。日本航空といえば経営破たんした会社で、B747は真っ先に槍玉に挙げられる。燃費が悪いとか、整備が大変だとか、だからコストが…。エンジンが4つあるからそれもよくわかる。わかるけど、一抹の寂しさも禁じ得ない。

 他にもB737、B767、B777が就航しているし、決して新しい機種ではない。でも存在感、綺麗な機体デザインは全く古さを感じさせない。飛行機に乗るのなら、これに乗ってみたいと思う。沖縄に行く時、沖縄から帰る時、搭乗機がB747だと嬉しく思ったものだ。もともと退役予定だったけど、日航の経営破たんでそれが早まったのが何とも残念。全日空でも2015年には退役してしまう。

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着陸態勢のB747。沖縄にて。

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那覇空港に着陸直前のB747。

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